FPM - Without You feat. Monkey Majik
そろそろクラブ行きたい
二階堂和美 - Lovers Rock
二階堂和美の曲は日本の夏がよく似合う
こういう日本人にしか表現できないっぽい雰囲気の曲が好き
2010年1月28日木曜日
2010年1月20日水曜日
天下りの話

官僚組織は、事務次官をトップとするピラミッド構造だ。だからもちろん役職の数は限られている。全員が出世し続けることはできない。出世競争に敗れた人はどうするかというと、天下りを行うことになる。
これは考えてみればピラミッド構造の組織では当然起こることだけど、同じような構造を持つ一般企業には天下りという制度はない。じゃあどうしているかというと、多分ピラミッド自体を大きくすることで人員を吸収していると言えるんじゃないか。つまり、企業としての成長によってピラミッド構造を維持している。とすれば官僚組織における天下りをなくすためにするべきことと言えば、官僚組織のピラミッドを大きくすることじゃないか。
官僚組織のピラミッドを大きくする方法で俺が思いつくのは2つしかない。
①経済や人口の増進。
でも今の日本は経済成長もそんなに見込めないし(どんなに楽観的な予測でも年3%程度の成長)、そもそもよっぽど成長しない限り天下りがなくなりうるほど官僚組織は大きくならないだろうと思う。
②戦争
だけど、これは天下りよりも大きな問題を抱え込んでしまうことになり、LOVE&PEACE(ニコッ)と言うまでもなくメリットがない。
以上のように、今の組織のままピラミッドをでかくするのは難しそうだ。だとすれば新たな組織論や人事制度を語るべきだけど、天下り批判がたくさん出る割にはそういう話ってあまり聞かないよね(ということが言いたかった)。
2010年1月11日月曜日
質より量(待ち合わせの場合)

不慣れな場所での待ち合わせなどで自分の居場所を電話で伝えたい場合、近くにある目印となるものを伝えるのが手っ取り早い。
例えば「近くにみずほ銀行がある」とか、「目の前にスタバがある」とか言えば相手が自分の居場所を特定してくれる可能性が高い(かもしれない)。
でも時には、コレといって決定的な目印が見当たらなくて、電話口で悩んでしまう事もある。
こういう時は、「決定的な目印」を探すのに時間をかけるよりも、ブレイン・ストリーミングの要領でどんなに詰まらない目印だろうと、とにかく数を出すのが正解だと思った。
「横断歩道がある」とか「ガードレールがある」といった詰まらない目印は、一つだけでは何の手がかりにもならず、相手にわざわざ言うのはバカみたいと思ってしまいがちかもしれないけど、そういう「詰まらない目印」が10コ集まれば、結構な確率で場所を特定できたりするんじゃないだろうか。
2010年1月1日金曜日
2009年12月31日木曜日
COUNTDOWN JAPAN 09/10

行ってきた。
感想。あと、星の数でどれくらい夢中になれたかを表した。
●フジファブリック<★★★★☆>
ボーカルの志村さんがこの前のクリスマスイブに亡くなった。もはやそのことについて書くことはない。
今日のステージは、過去の映像によるセットリストの再現だった。
ステージ上の照明や楽器の配置が当初予定されていた通りだったのにはやや残酷な印象を受けたが、感動的かつノれる「ライブ」だった。
生で観れなかったのが本当に残念。
●前田博章(DJブース)<★★★★☆>
やべー。DJブースってこういうフェスでは明らかに脇役だろうけど、超楽しい。
クラブと違ってノリが極めてフィジカルだね。
流す曲も聞き覚えのあるJ-ROCKなので、ボルテージが上がりまくって…
疲れすぎてこの後ちょっと寝た。
●トータス松本<★★☆☆☆>
カッコいいね、この人は。
あと、歌上手いなって思った。バカみたいな感想だけどそう思った。
まあ、ウルフルズの方が好きって言う人は多いんじゃないか、ってのは俺の妄想。
●安藤裕子<★★★☆☆>
安藤裕子ってこんなに可愛かったんだーっていうのに気づいた。
キュート系アラサーの正しい佇まいの図。
●ZAZEN BOYS<★★☆☆☆>
パフォーマンスが楽しい。
でもZAZENの音楽って俺にはあまり入ってこないのかもなあ…。
●東京事変<★★★★☆>
今回の一番の目的。
キレイ系アラサーの完璧すぎる佇まいの図。
人多すぎ。大げさじゃなくて身動きがとれなかった。他のステージは閑古鳥じゃね?って心配になるほど大集合してた。
演奏される曲はすべて体に馴染んでいる曲なので、もちろん気持ちいい。が、楽しむ余裕がなかったっていうのが本当。後で映像で見たらすごく良いんだろうな。とか、そんな感じのライブ。
微笑ましいことに、俺の周りにいた女の子達はプチ椎名林檎と化していて、歌声をサラウンドで楽しむことができた。たまに歌詞飛ぶけれど。
●曽我部恵一BAND<★★★★★>
一番楽しかった。
4人のニコニコで、観てるこっちもニコニコ。
本当に音楽好きなんだなあってのが伝わってくると幸せ気分になるよね。
一番小さいステージとは言え、結構デカイ会場だ。そこで小さなライブハウス的な一体感作っちゃうあたりは天才的だと思った。
2009年12月29日火曜日
大掃除に効く佐藤可士和

今日は仕事納めだった。
一年の終わりにデスク周りをスッキリさせたいと思い、『佐藤可士和の超整理術』を読んだ。
いわゆるハウツー本なのかと思って敬遠していたけれど、読んでみたら整理の本質論だった。
そもそも整理とは何のためにするものなのかという点を正しく深く理解することによって、小手先ではない整理が可能になる。
これは一種の目的志向だと思った。
ここに書かれている整理の本質は、佐藤可士和さんのデザインの思想と同義である。
なぜ佐藤可士和さんのデザインがここまで圧倒的に評価されてるのか分からなかったが、これを読んだらその理由がわかった。
目からウロコ系なので、敬遠せずに読んで欲しい本。
以下、俺がラインを引いた部分の抜粋。大掃除に直接役立ちそうな部分は★マークにした。
★ひとつのデザインを生み出すことは、対象をきちんと整理して、本当に大切なもの、すなわち本質を導き出して形にすること…
●僕が行っていることは、“コミュニケーション戦略を総合的に立案し、デザインの力で目に見える形にしていく仕事”なのです。
●発泡酒のマイナスイメージをプラスに転換することを考えました。コクが足りないのではなく、“ライトで爽やかな飲み口”。ビールの廉価版ではなく、“カジュアルに楽しめる現代的な飲み物”というように、発泡酒を捉える視点を転換したのです。決して無理やり導き出したわけではなく、裏を返せばポジティブな見方ができる、ということです。
●自分の作品を作るのではなく、相手の問題を解決する仕事なのです。解決策をかたちにする際にはじめて、デザインというクリエイティブの力を使うわけです。
★整理するには、客観的な視点が不可欠です。対象から離れて冷静に見つめないと、たくさんの要素に優先順位をつけたり、いらないものをバッサリ切り捨てたりすることはできません。
●「斬新だけど違和感が全然ない」とも言われます。これは、ゼロから生み出したものではなく、相手のなかから核心を引き出した結果ゆえでしょう。
★整理することで一番大切なものを見つけ、磨き上げてデザインする。それがうまくいけば、見る人にメッセージを限りなく完璧に伝えることができる。
●個人的な嗜好は置いておいて、この車が持っている本質的な価値に対して素直に向き合ってみようと。家族みんなでどこかへ出かけることは本当はとても幸せな事で、それがすごく素敵に見えるように表現してあげれば良いのではないかと考えたのです。
●なぜこのデザインにしたのかという過程を相手に理路整然と語れるように、自分の思考回路の整理をきっちり行うようにしたら、作品からあいまいな部分がどんどん消えていきました。頭の中に一点の曇りもなくなると、目的がフォーカスされて、ピシッと論理の道筋が通ったのです。すると、相手が疑問を挟む余地のないほど、自分の作品を完璧に説明できるようになった。言い換えれば、作品が完璧に自分のものになったのです。
●ここで語る整理とは、巷にあふれる細々した生活の知恵ではありません。伝えたいことを明確にするという、コミュニケーションの本質に迫るアプローチなのです。
●多くの人は、自分の目の届く限られた範囲内で現実を理解し、あまり疑問をもたず、世の中をシンプルに捉えているのではないかと思います。(中略)現状把握の難しさを認識しないままだと、物事の本質に迫り、筋道を立てて考えてみようとまで思えないでしょう。また、自分で判断ができず、他者の表面的な分析に振り回されてしまう羽目になります。
●どの企業でも、本質的な問題にはなかなか目がいかず、自分たちの商品に誰もが関心があるはずだ、という前提で物事を進めているのです。
●問題の本質を見据えると、新しい視点も見えてくるものです。
●…問題の本質を突き止めるために、情報の因果関係をはっきりさせていきます。これがこうだからこうなる、というふうに関係性を見出し、整合性がとれるように整理していく。そのために不可欠なのが、自分なりの視点を導入することです。バラバラの情報を、ある視点に沿ってつなげていくことで、状況の根源となっている問題の本質が表面に現れてくるのです。
●物事を整理しながらプライオリティをつける訓練を、日頃からぜひ行っておきたいものです。これが経験値として身につけば、必ず仕事の精度が上がるはず…
●“マクロに引いて見る”ことで問題の本質を浮かび上がらせましたが、“反対側から捉えてみる”ということもまた、視点を見つけるうえでの重要なキーワードなのです。
★捨てることは、不安との闘いだと述べましたが、“とりあえず”との闘いでもあるのです。いつ必要になるかわからないものより、今を大事にしたほうが、どれだけ有意義かわかりません。
★…その都度の作業に必要なものだけを置き、作業が終わったら常にしまうことを習慣づけるのです。(中略)板前さんがネタを切って、握って、出し終わったら板場をさっと拭いてきれいにする、あの仕事ぶりのイメージです。
●目の前の仕事に深く入り込んでしまうと、「果たして、広告とは関心を持ってもらえるものなのか」という、ぐっと引いた視線で見ることを忘れがちになってしまうのです。
●人は自分の心にバリアを張っていて、無意識のうちに外部情報を遮断しています。ですから、伝えたい情報を相当きちんと整理したうえで、筋道を立てて戦略的に伝えることを考えないと、受けての心のバリアを破って入り込むことなどできないのです。
●…“あるべき姿”に到達するためには、不可能ではないけれどもかなりの努力を要します。ブランディングの一環として、社会に対してはっきりとビジョンを提示することで、クライアントもそれに近づくべく切磋琢磨していければ、ひとつの理想形といえるでしょう。
●本質を探るということは、一見、物事の奥深くに入り込んでいくようなイメージがあるでしょう。でも実は、どんどん引いて離れていくことだと思うのです。客観的に見つめてこそ、いままで気づかなかった真実や大事なエッセンスを発見することができる。
●長い間、美術はフレームの中だけの表現を考えていればよかった。キャンバスにどういう絵を描くかを競ってきたのです。ところが、コンセプチュアルアートの出現が、それまでの概念を何もかも覆しました。「フレームの外側も含めて作品だと思えば、中は真っ白でもいいんじゃない?」という考え方です。フレームの外側、つまり置かれている状況も含めて作品だという新たなアプローチ。それは、視点をぐっと引いていくことで生まれたものです。従来のアートを離れて見つめなおすことで、結果的にアートの本質へと迫っていったのです。
●思い込みを捨てるには、あえて極論を考えてみるというのも手です。無謀なほど極端な気持ちになってみないと、自分を捨てることは難しいものです。ですから「そもそもこのプロジェクトは必要ないのではないか?」くらいの思い切った気持ちになれれば、ふっきれて視界が広がってくると思います。
●…「迷ったら具体的なシーンを思い浮かべてみる」ということです。つまり、さまざまなTPOを想定して、自分が取り組んでいる物事をどのように説明するか考えてみるのです。
●“情報”の整理のベクトルは、コミュニケーションの理想形を指し示しているのです。
●漠然とした状態で何となく感じていることでも、秩序だてて整理していくのは、非常に難しいものなのです。それだけに、自分の考えのベースになっている部分をビシッと摑めると、その思考は揺るぎないものになるはずです。
●思考を情報化するために(中略)必要不可欠なのが、“無意識の意識化”というプロセスです。(中略)その際に、いちばん大事なことは、“言語化していくこと”です。
●まずは相手の言うことをまとめる作業から、トレーニングを始めてみてください。相手の思いや考えを客観的に捉え、言葉に置き換えることからやってみるのです。だんだんスキルが上がっていけば、そのうち自分のことも冷静に見つめられるようになってきます。
●…仮説を立てて、恐れず相手にぶつけてみること。相手の言っていることがある程度まとまったら、「それってこういうことですか?」と、自分なりの言葉に置き換えて投げ返してみてください。
●口にしにくいことをあえてぶつけてみるからこそ、問題の本質が浮かび上がってくるのです。(中略)成功したイメージ像やビジョンを語ったうえで、仮説を述べれば、真摯な気持ちからの発言であることが伝わるはずです。
●自分がどこかでリアリティをもって捉えられないと、本当の意味での問題意識が生まれない。
●「他人事を自分事にする」これは思考の整理で非常に大切なポイントです。
●対象をねじ曲げて自分に引き寄せるのではなく、対象と自分との接点に近づいていくことでリアリティが生まれるのです。
●…「どうしてあらゆるジャンルの仕事ができるのですか?」という質問に、「常に対象のなかから本質を引き出しているからアイデアが尽きることがない」と述べました。これにぜひ、「他人事を自分事にできるから」と付け加えたい。…担当するプロジェクトに一見個人的な接点がない場合には、どこに共通項を見出すかを念頭に置きつつ、情報をすくい上げていくのです。
●柳井さんの言葉で印象に残ったもののひとつが「服は服装の部品」。これはつまり、「ユニクロはいわゆる“ファッション・カンパニー”というより、どちらかといえばネジや釘などを売っている東急ハンズのような“パーツ・カンパニー”という感覚なんです」ということ。「組み合わせはお客さんのご自由に」というわけです。(中略)一般的なファッションブランドは、モノというより時代性などの気分を提案しているものが多く、このような考え方のブランドはめったにない。ユニクロは、よりクールなスタンスなんだな、と。気分を押しつけるのではなく、淡々と部品を作っている感覚が、ほかとは全く違うユニークネスだと感じました。
●整理と問題解決は、同じベクトルでつながっている。
●優れた視点が見つかった場合、その視点で要素を並べ替えただけでも、答えになっていることがしばしばあります。
●まずは現時点で材料としてあるものをうまく並べ替えてみることです。新しいものをゼロから生み出そうとするのではなく、目の前のものを的確な視点で組み替えることで、見違えるほど精度が上がるものです。
2009年12月27日日曜日
twitterはなぜ心地いいのか

梅雨ごろからかな。ツイッターをやっているが、これが心地いい。
ツイッターは基本的に「題目」に縛られる事がないのが良い。
この「題目」とは、2ちゃんねるで言えば「スレタイ」、SNSで言えば「コミュニティ」、ブログで言えば「タイトル」、チャットで言えば「チャットルーム」もしくは「チャットの相手」のことだ。
基本的にはツイッターには目的がないんだね。
もちろんツイッターやってる個人にとっては、情報収集やSNSのコミュニティ的な使い方等、それぞれの目的があるかもしれない。
でもツイッター自体は俺らユーザーに目的の枠組みを提供してこない。
まずはみんなが思い思いに「つぶやく」ことによって玉石混交のリソースを作り出し、作り出した大量のリソースの中から「フォロー」や「ハッシュタグ」でユーザー一人ひとりが自分に有用な情報を拾い出す。
つまり、従来のウェブサービスがトップダウン的であったのに対し、ツイッターはボトムアップ的だと言える。
これはきっとウェブの新しいアプローチ。
「玉」も「石」も平等に存在することのできるこのアプローチは、従来はとても目的至上的で殺伐としているか、そうでなければ内輪ノリで気持ちの悪い世界だったネット上に、実社会に近い「暖かさ」を持ち込むことに成功しているのではないかと思う。
俺にとってはこの暖かさが健康的で気持ちいい。
(ツイッターってmixiの「ボイス」と一緒でしょ?と聞かれる事が多いが、「ボイス」は始めにマイミクとして絞り込まれている点でツイッターとは本質的に異なる。この違いは使ってみないと実感が湧かないかもしれない。)
このアプローチはいかにもアメリカの規制制度に似てるな、と思う。
アメリカの産業に対する規制は「事後規制」の考え方に基づいている。
「事後規制」というのは、前もって「あれはダメこれはダメ」って言っちゃうと誰も面白い事やらなくなっちゃうから、何か問題が起きた時点で規制するかどうか決めようぜ、という考え方。
だから、日本だと「プライバシー侵害じゃね?」ってなる「ストリート・ビュー」や、「セキュリティ不安じゃね?」ってなる「クラウドコンピューティング」みたいなおもしろいサービスや考え方が出てくる。
まずは方向性決めずにリソースの量を大量に用意して、そこから要件によって絞り込んでいくっていうのはひとつのコミュニケーションのあり方だと思う。
要は頭柔らかくしようぜってことかもしれない。
2009年12月13日日曜日
教養がないのはクソか

俺が「坂の上の雲」を読んだことないってことで、ある50手前の男性から「今どきの若者だなあ(=モノを知らねークソ野郎だなあ)」的な哀れむような視線を送られた。
要は馬鹿にされてしまった。
実際、俺はモノを知らないからその評価に間違いはないし、だからこそ悔しくも何ともないのだけれど、その評価基準が、言ってしまえば司馬遼太郎の一作品に過ぎない「坂の上の雲」であることは非常に味わい深いと思った。
「上の世代」には「坂の上の雲」という「教養」がしっかり機能しているのだった。
教養かー。
俺は、「教養」っていう概念が存在した「上の世代」と消え失せた後の「俺らの世代」の間にある断崖をとてもはっきり見ちゃった。
まず話の前提として、教養ってなに?ってことだけど、たぶん教養っていうのは、「知性を持つ者の社会ではこれくらい知っとおかないと会話にならねーからな」っていう知識のこと。
要は、ある階級において要求される前提知識みたいなものかな。
だから、一応は大学が短大や専門学校より「上位」である(とされている)最大の要因は、「教養科目」の存在であったはずだ。
かつては文化的資本の豊富さと社会的地位は比例したのだ。
「文化的資本を持っている=社会的地位が高い=俺ってすげー」という連想ゲームが成り立っていた。
だからこそ、かつての「チューサン階級」の多くは、読みもしない百科事典を「あ」から「を・ん」まで揃えて居間に並べてご満悦だったのであった。
古き良き時代である。
でも、今や文化的資本と社会的地位の比例関係はぶっ壊れ、連想ゲームはとっくのとーに成り立たない。
村上春樹を読んだことがないからといって、誰が恥ずかしがんの。
「おくりびと」を見たことがないからといって、誰に嘲笑されんの。
否、誰も恥ずかしがらないし、嘲笑されることもない。
なぜなら、村上春樹を読んだことがなくても、「おくりびと」を観たことがなくても、その代りにし得る素晴らしい経験はいくらでも存在するっていう共通認識が俺らにはあるからだ。
つまり「上の世代」とは比べ物にならないほど、「俺らの世代」ではいろんな価値観が尊重されるようになったんじゃないかな。
実際、「坂の上の雲」の未読を馬鹿にされた時に俺が思ったことは、「でも、たぶん俺の方がアメリカ文学に多く触れているし、スキーだって俺の方が上手い」ってことだ。
「教養」という概念は今の40歳以上がリタイヤすると共に消えていくのだろうか、それとも社会生活の中で俺らの世代に伝承されていくのだろうか。
俺の肌感覚では、一部の階級を除いては「教養」は消えるんだろうなーと思うけど、「教養」の存在が薄い世の中も、「前提知識ないのかー面倒くさいなー」って感じる。
だからといって、もちろん教養主義みたいのも疲れるし。
そういえば…
別の時に友人から「お前はスラムダンクも読んだことないから根性が曲がっているのだ」という愛に満ちた罵倒を浴びせられた。
嗚呼、ここにも形を変えた「教養」による暴力が…
2009年11月28日土曜日
手段に過ぎない

(伊豆に行ったよ。海がこんなにきれいだとは思わなかった)
分業について。
サークルをやっていたころから考えていたことだけれど、分業は難しい。
つまり、分業をすると自分の担当の仕事を目的だと思ってしまう人が出てくるのだ。
だからしばしばアウトプットがわけ分かんない複合体になってしまう。
担当者は自分の仕事を成し遂げたことで満足感は得られるのだけれど、それらを全体で見た時、全然失敗じゃんかーみたいになることがある。
本当はそれぞれの仕事(企画、渉外、営業、宣伝とか)というのは、チームにとっての手段に過ぎない。
そこで上位概念を共有することが大事になるわけだけど、「コンセプトでは食えない」的な反論に苦労することになる。
まあ早道はそれぞれの人が「これは手段なんだ」と自覚的にやっていくことなんだろうなあ、でもそんなこと不可能だよなあ、とか漠と思うけど、(よく分からない)。
2009年11月27日金曜日
事業仕分け

■
まあスパコンの仕分けに対して批判が多いが、意義を説明できない文科省も悪い。
「1位を目指す必要があるのか。2位ではダメなのか」というレンホー大先生の言葉に「唖然」としたという自称「科学は短期的な収益性で判断できるものではないということを理解している頭の良い人」が多いようだけれど、一体誰がこのレンホー大先生の質問に的確に答えたか。
否、答えていない。
民主党はわざわざ「国民の生活が第一」と自らのスタンスを明らかにしてくれているのだから、誰にでもわかるような(=論理的な)説明をしないといけない。
仮にも1,000億かけてやる意義を主張するなら、信念と筋の通った説明が必要なはず。
「科学は1位以外意味がない」とかそんなんじゃ分からん。
日本の科学技術の在り方をどのように考えているのか、という上位のビジョンから逆算してスパコン1位の必要性を説くべき。
「1位になれば色んなメリットが後から付いてくる」とかそういう説明にはそれこそ唖然とするので、少なくとも俺(=文系バカ)が納得できるような説明じゃないとダメなんじゃないかと思う。
■
官僚は仕分け人の質問に回答しこれを説得する必要がある。
一方で、仕分け人は結果について官僚を説得する必要はない。
仕分け人のささくれ立った質問にも丁寧にキチンと回答する官僚は多いが、最後は「良く分からない」的なコメント一言でバッサリ。
何の専門知識もない素人がご僅かな自らの経験・知識に基づき、結果について何ら責任を負うことなく仕分けをするという、恐るべき場が事業仕分け。
■
ただ、査定をオープンにすることには意義があると思う。
2009年11月6日金曜日
電波オークションは導入すべきか

情報通信制度改革三部作シリーズ「電波オークションは導入すべきか」
というシンポジウムを慶應日吉くんだりまで聴きに行った。メモを残したので、せっかくなのでのっけよう。そうしよう。
通信とか放送とか、あとそれらの政策周りに興味ある人にとってはかなり面白いと思う。
パネリストもかなり豪華。
■パネリスト
池田信夫 氏 (上武大学大学院 経営管理研究科教授、SBI大学院大学客員教授)
佐々木俊尚 氏(ジャーナリスト)
関口和一 氏 (日本経済新聞社編集委員兼論説委員)
國領二郎 氏 (慶應義塾大学総合政策学部長)
中村伊知哉 氏(慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授)
岸博幸 氏 (慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授)
■モデレーター
金正勲 氏 (慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授)
【各パネリスト 電波オークションへのコメント】
佐々木)
・総務省、経産省ですら政策がどうなっていくかよく分からない。
・i-Japan2015はいったん棚上げになりそう。
・情報通信法は棚上げかと言われたが、現時点では進められるようだ。民主党が程度軌道修正を求めてくるのかという点で、総務省は悩んでいる。
・日本版FCCは白紙で、TFに丸投げ状態。TFはレポートをまとめるのではなく、プロセスそのものを政策立案に盛り込む方式。
・民主党は従来の総務省の委員会を一旦バラバラにして、違うメンバーで新しい議論をしたいという意向が強いようだ。ガラガラポンで、メンバーがどうなるかも分からない。従来は役所のシナリオにある程度そっていたが、そうはならなさそうだ。
・電波オークションについては、総務省や大臣の意向がよく分からない。
・電波オークションは世界的に90年代に盛んだった。当時はインフラを持っているということ自体が収益源になった。
・だが、ここ10年で状況は変わった。インフラは儲からなくなり、Google、Amazon等のプラットフォームビジネスが生まれてきている。
・こうした状況で、資金力だけで電波の取得を決めるのは正しいのか。下位レイヤーと上位レイヤーとが融合するほうが発展の可能性があるのではないか。そのためにはオークション以外の第三の選択肢を考え、ベンチャーに電波を開放するほうが良いのではないか。
中村)
・最近、絶対やらないと言いつつもブログを始めた。ついったーでの発言も増やしている。現政権はやばいので、色々発言していかなければならない状況にあると思っている。特に電波に関しては危機感を抱いている。
・情報通信法に関して。デジタルサイネージを産業にしようと、2年前にコンソーシアムを立ち上げ、160社が参加している。
・通信放送のフルIP化を目指しIPDCフォーラムを立ち上げ、現在30社が加盟。地デジの電波をブロードバンド的に利用しようというもので、新聞や雑誌の紙面を配信する実験を考えている。
・オークションはトライアルでやるべき。抵抗は無いのではないか。あるとしたら、入札しなければならない民間企業か。
岸)
・民主党政権下で様々な分野で改悪が進んでいる。酷いのは郵政人事。脱官僚依存とは間逆の方向に進んでいる。
・ICTの分野についてはドラスティックに換わることは無いが、スピード感や優先順位には変化が出てくる。
・個人的には、電波オークションは理論的には賛成。だが現実に適用するのは難しいだろう。
・既に電波を持っている人と持っていなかった人とが同じサービスをする場合、有利不利がある。後者のほうがコストが高く、競争条件が同じではない。そのため、政府がどのように競争に介入するのか、整理が必要。
・電波オークションによって1兆円の税収があるという話があったが、消費税を1%上げれば2.5兆円の税収がある。埋蔵金として使うとすれば、本末転倒。
関口)
・そもそも電波は誰のものか。誰が権限を持って運用することが出来るのか。
・電波が有効に活用されるか否かがポイント。固定から無線へという流れがある。固定は線を引けば無限にあるが、電波は有限。効率的に使うことが大切だが、そこでオークションが必要か否か。
・オークションの方法が問題。
・欧州では、3Gのオークションを各国ごとに行った。3Gは欧州全域で出来なければいけないため、最初にある地域を取ったら、その隣も取らないといけない。こうした連鎖の結果、破綻した。つまり、欧州は全域まとめてオークションにかければよかった。
・オークションを使えば、無駄に使っている人を追い出せるのか。
・電波料は国庫に入らず総務省に入る。有効にICTの発展に使われるならよいが、オークションのお金が異なる事業体に使われるのも好ましくない。
・電波をデジタル化で圧縮して半分にして使いましょう、というのが98年以降の議論。電波はもっと無駄に使われているものもある。電波資源のデジタル化に手を付けず、放送波の議論が主になっていた。
國領)
・民主政権では方法の話が先に立ってしまっているが、何を実現したいのか意識合わせすることが必要。
・電波で求められているのは果たして効率性なのか。大事なのは創造性である。新しい試みにどうチャンスを与えるのか。効率性を多少犠牲にしても、柔軟性と創造性を重視したい。
・大きな文脈で考えると、国の政策や資源配分を誰がどういうプロセスで決めていくのか、ということ。そのプロセスに対して、大学側から提言できればという狙いもあってこの議論を立ち上げた。
・オープンな議論で制度設計をするにしても、根っこのところでどこに根本思想を置くべきか、というのは非常に重要。その意味では、これまではレイヤー3に競争を入れるという事で政策が作られてきた。果たして今後もそれでいいのか。電波が中心になれば変わらざるを得ない。
【ディスカッション】
金)
・パネラーの皆さんは電波オークション自体には賛成だと思うが、日本でオークションを導入した際、日本の電波産業の強化に繋がるのか?
池田)
・オークションをどうやるか、に依存する。
・日本では730-770MHzしかオークションの対象にならない。やるならもっと大きな帯域でやるべき。その意味では、ITSであそこの帯域とる必要があるのか?700MHZの一番良い帯域になぜ入ってくるのか。奥田会長が入れたのかもしれないが、ITSの技術はトヨタと日立しか持っていない。
・ちょっと上にはFPUという帯域が余っており、誰も知らない。
関口)
・新規事業者が自由にやれる電波が必要だ。日本には、新規参入者に速やかに電波を割り当てられる仕組みが必要。
岸)
・確かにITSへの割り当ては、不思議だ。
・電波を使った競争的な産業がはたして生まれるのか。新規産業育成の面では、オークションだけではダメ。
・オークションで得た財源を技術開発に使うという話があったが、それでは特定財源化してしまい問題がある。
・自動車技術は各社の互換性がない。技術がバラバラなため、世界で全く通用しない技術しか出てこない可能性がある。
中村)
・オークションにすると利用効率が上がる。ここはITSでないとダメという割り当ては破綻している。利用目的の緩和をしないと産業発展に結びつかない。
・オークションの議論で一番重要なのは、誰がオークションを望むのか、ということ。オークションに反対する業界もある。実現してほしいのは誰なのか。その人はどれ位コストとリスクを取るのか、という点が大切。
國領)
・池田さんに質問だが、オークションは上手く設計できるのか。経験則だけでは危ういので、理論がほしい。欧州の失敗が頭にある人が多いが、当時から時代も進んでいるし、成功例もある。
池田)
・某キャリアの知人は、1兆円は大きすぎるという意見。
・値段を安くする方法は、条件を厳しくすること。
・ベンチャー枠を作る方法もあるが、米国では混乱した。そのため、設計は恣意的にならないようにするべき。例えば、物理層だけを割り当て、上位はMVNO等への開放を義務付ける。
佐々木)
・無線は有限だが、出てくるビジネスは当然ながら無限。最終的な問題は有効な資源の公正利用という点ではない。どんなプラットフォームやレイヤーモデルが生まれるのか考える必要がある。例えばMVNOを義務付け通信インフラとアプリケーションを切り離すと、それでは立ち上がれないビジネスの可能性を摘むかもしれない。垂直統合的なモデルの可能性もある。ビジネスの進化という観点も必要。
池田)
・垂直統合を否定するわけではない。他を排除してはいけない、というルールが必要。
・ホワイトスペースは200MHzもある。ここでインフラを構築することも可能で、そうなればオークションで値段がつかなくなる。
・ホワイトスペースの利用技術について、IEEEで論争が続いているが、そのWGに日本人が参加できていないことが問題。オブザーバはいるが、発言権は無い。
金)
・日本でオークションを導入した際、はたして新規参入者が出て着るのか。
・企業買収という形で電波を得る、第二市場の扱いをどうするか。
池田)
・米国でオークションをしたのは、超競争的ムードがあったからであり、日本では何も起こらないことを恐れている。
・現在でも第二市場は企業買収という形で事実上存在している。あまり知られていないが、NTT(ドコモ?)は買収を繰り返し、電波がかなり余っているという話もある。第二市場を公式のものにすべき。
関口)
・オークションをやるなら、悪意をもった事業者を排除する仕組みが必要。この点、第二市場を認めてしまうと難しい。
國領)
・所有権ではなく、ライセンスという枠なので、年限がある。これまでの議論では所有権として話していたが、この錯覚を仕切りなおさないといけない。
池田)
・原口大臣が、周波数オークションをやると放送局の体力が持たない、などとわけのわからないことを言っていた。これは放送業者の勘違いを受け売りしたのだろう。
・放送免許の更新時にオークションにかけられるという不安があるのだろうが、それは絶対にない。日本の放送局は影響力が強いため、誤解から圧力をかけるのはやめてもらいたい。
佐々木)
・テレビは非常に微妙な局面。今後の動画コンテンツビジネスをどうマネタイズするのか。有料配信は成功していないし、CMもダメ。マネタイズの点のビジョンが無いのが現状。
池田)
・問題なのはホワイトスペース。ここではマイクロソフト、グーグル、モトローラがリードしている。日本がここに活用や技術開発に力を入れなければ、植民地化されてしまう。
【質疑応答】
質問者1)
・間違いを訂正したい。周波数を定期的に見直し、ダメなところからは取り上げる、という議論は5年前からやっていること。このことを踏まえてはなさないと10年前と全く同じ議論になる。パネラーたちは電波政策ビジョンを読まれているのか。
・アナログで空く周波数の利用について、総務省は公募を行った。これ自体は評価できるが、総務省の失敗は、用途と技術を分けなかったこと。
質問者2)
・ITSの委員をしている。ITSはピンポイントで来たので、断り切れなかったという背景がある。
・周波数の問題は国の成長に関わるため、次世代を見極めた上での議論が必要。
佐々木)
・通信と放送が融合に向かっているが、今はほとんどのテレビはネットに繋がっていない。
・「日本は国際化には負けた。これからはいかに外資を防ぐかだ」と言われたことがあるが、ブロードバンドは有線から無線へという流れ。WiMAXやLTEで家電がネットに繋がるようになれば、日本は無線ブロードバンドと家電で国際競争力を作っていけるかもしれない。いろいろな分野で再構築が可能だと期待する。
池田)
・電波の問題は電波の問題だけではない。FTTHと同等のインフラが可能になってきた。次はホワイトスペースでパブリックな無線ブロードバンドが出てくるかもしれない。有線の競争戦略も変わる可能性がある。
・大きなフレームワークの議論をすべきという質問に賛成。電波の緩和だけでなく、大きなIT成長戦略の枠組みの中で電波の活用をすべき。FTTHはNTTに任せ、電波と固定でガンガン競争させるのが良い。
中村)
・新政権に望むことは、融合促進、電波の規制緩和、ソフトパワーの3つ。
・現政権にどこまで頼っていいかわからないので、日本が国際競争力を持って輸出モデルを作れる新産業に対して産学で取り組む。
岸)
・インフラレイヤーはもうそんなに儲からない。儲かるのはプラットフォーム。
・コンテンツは儲からなくなってきたが、プラットフォームと結びつけばやりようはある。
・電波だけ効率的に配分すれば上手くいくとは限らない。プラットフォームを押さえるための競争政策が必要。
・経産省は無責任で、一番嫌いな省庁だ。言うことは気にしない方が良い。
関口)
・電波は関心が高いが、金をかけすぎ。インフラは儲からないのだから、ここの通信費を下げ、アプリケーションやサービスにお金が行くようにすべき。
・固定を考え直す必要もある。例えるなら、固定は公共交通機関で、電波は自家用車。電波を有効活用するため、今まで無線でやってきたものを固定に持っていくことで通信コストを下げられる。
國領)
・日本は実は色々やってきていて、ブロードバンドやワイヤレスといった面白い文化を育ててきた。しかし、今までのモデルだけでいいのかというとそうではない。
・今考えたいのは、オープンワイヤレスのモデルにきちんとチャンスを与えること。固定ブロードバンドも進んでいるし、ワイヤレスも卑下する必要はない。オークションはオープンワイヤレスを実現するための手段の一つ。試しにやってみたらと考えている。
・池田先生のモデルをもっと具体化して、実際にサービスを構築したり、電波を割り振ったりすることをテストベッド的にやることが必要。そういった試みを通して、何を実現したいのか分かりやすく議論することも重要。
おわり。
明日はサーフィンと、余裕があれば早稲田祭に行きます。
2009年11月3日火曜日
多様化の宿命

市場の多様化って言葉は、うん、よく聞くよね。一方、最近よく言われる傾向は商品・企業の一人勝ち。今後この傾向は加速するという見方が大勢のようだ。つまり、全く逆の現象が起きている。うーん、混乱する。
一体どういうことだ?つまりこういうことなんだろう。
まず、市場の多様化ということは分かりやすい。個人が選びうる商品の選択肢はかなり広がりつづけているし、購入の判断材料となる情報もいくらでも手に入るようになっている。
さて、個人が持つ時間は一日24時間と変わらない。でも選択肢は限りなく広がり続けている。そういった場合、人はどう考えるか。おそらく、自分が興味のない分野に関しては、選択に要する労力を最小限にとどめたいと思うだろう。時間という限られたリソースを自分の興味ある分野に振り向けたいと思うだろう。選択肢が広がっているのだから、興味のある分野をマニアックに追求していきたいという考え方をするだろう。
そうした場合にヒットするのが「こだわらない」商品だろうと思う。例えば、ユニクロである。あるいはiPodである。多様化の時代には、「興味のない分野に関する選択に手間はかけたくない。でも、ある程度の水準は保ちたい」という消費者が多くなるのは想像に難くない。こんな消費者には「こだわらない」商品で充分。ちなみに、「こだわらない」は「何でもいい」ではない。「こだわらない」と「何でもいい」、あるいは、「これがいい」と「これでいい」の間の絶妙な部分を狙えた商品が一人勝ちしている。そういうのが今の状況なんじゃないだろうか。
一方、一人勝ち商品以外のものは、どんどん細分化し、マニアックなものになっていくかもしれない。しかしマニアックになっていくと、「こだわらない」層からはどんどん遠い存在になっていく。そうなれば当然市場は小さくなり、存在し続けることが難しくなる。
これは仮説だが、多様化がこういった構造を持っているとしたら、とても危険なことだと思う。
多様化を促進させた大きな要因はITだろう。ITは人の選択肢を増やした。だが、生産性を高めるのもITの大きな役割であり、選択する側の人の能力を高めることにITは貢献できるはずだ。たぶんもう貢献し始めてはいるんだろうけど、ITはもっと利活用されるようにならなきゃいけないんだろうと思う。
2009年11月2日月曜日
子供手当を考える

最近、中国のGDPが日本をそろそろ抜くよーって感じになってプライドがやばくなってきたせいか、あるいは、不況だからそんなこと言ってらんねーってことなのか、「日本って成長はそこそこでよくね?大切なのはこころの豊かさじゃね?」論を最近聞かない。スローフード、とかも全く聞かない。ちょっと前はそんなんばっかだったのに。
つまり、結局日本はどこ目指すの?
これがよく分からないってこと。方向性とかゴールってすごく大事。っていうか便利だよね。ゴール決めちゃえば、やるべきこととやらなくていいことがある程度見えてくるからかな。戦略があってこそ戦術が立てられるんだよね。
先日総務省では「グローバル時代におけるICT政策に関するタスクフォース」(長い名前だやう、ほんたうに)という会議が開かれた。錚々たる面々が参加してこれからのICT政策を考えてこー、って集まったんだけど、内容は単なる放談会。まあ第一回目だから仕方ないってのはあるかもしれないが、このタスクフォースだけでなく、従来からの研究会等でも、政府の目指す方向性が良く分からないから、事務局である官僚もどういう風に会議を進めていいのか分からないの。政治主導って言うけどどこに連れてかれるか全然わからんのだ。
さて、この民主党の方向性云々に関して、自分で言うのもなんだけど、以前俺が書いた文章を今読むとなかなか面白い。子供手当について。一年ちょっと前の文章だけど、こういう論点、今もあまり無いんじゃないかなあ。もちろん当時は民主党が政権取るなんて思ってもなかった。当時の俺の論点は、現在ではもはや使い古されているが、今だ有効な論点――民主党って戦略ないよねーって論点と同義。子供手当も「目的は何なの?」ってところから考えるとこういう批判が成り立つ。以下過去日記より引用。(引用元:http://blog.goo.ne.jp/dassou-net/e/a6e8bb75c3457d31c0a4fadf5c2ff54d)
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はあ・・・なんでこうも親と衝突するんだろう。全力で論理的な弱音を吐きたいけど、後悔しそうなのでやめとく。久しぶりに政治ネタいきます。
ニュースで小沢一郎の代表質問の様子が報じられていて、そこで初めて知ったのだけど、民主党の法案で「子供手当」ってものがあるらしい(http://www.dpj.or.jp/news/?num=12437)。
俺はこの法案を知ってちょっと考えてから、「これまずくね?」と思った。そう思ってネットを一通り巡回してみたけど、今のところ俺のような考え方で「この法案まずい」って言ってる文章は見当たらなかった。だからちょっと書いてみる。
「子供手当」とは、中学校修了までの子どもに一人当たり月額2万6000円支給しますよ、っていう制度だ。特徴は、
(1)支給に必要な費用は全額国庫負担とすること、
(2)出生順位にかかわらず皆同額の手当額とすること
(3)保護者の所得制限を設けていないこと
詳しくは上のリンクを見て頂ければと思う。
まあ子育てしやすい環境を作って少子化の流れに歯止めをかけようっていう目的なんだろう。もちろんかなり斬新な法案なので、賛成意見と同様、反対意見も一通り揃っている。例えば、「正直、毎月2万6000円もらえるくらいで子供産もうとか考えねーよ」、とか、「結局税金から払うわけっしょ?子供いない私ら、割食ってない?しかも国の赤字、大丈夫なの?」とか。これらはもっともな批判で「そうだそうだ!」って言いたいけど、今回はこういう角度からの批判はパス。違う角度から。
俺の懸念は、「この制度って貧困層を量産しちゃうんじゃね」ってものだ。どういうことか。
この「子供手当」導入の民主党の思惑は、「今まで金銭的な理由から子供を持てなかった家庭も子供を産むことができるぜ!少子化是正だぜ!」というものだ。でも、問題なのは手当の支給が「中学校修了まで」ということだ。俺の母親も言っているが、子育てで一番お金がかかるのは義務教育以降。だからたぶん「子供手当」を当てにするような家庭の大半は、子供を高等学校に進学させることができない。そして今の日本の現状では、中卒者の就職状況というのはあまり恵まれておらず、高卒や大卒と比べると、生涯賃金の差は大きく広がる。とすれば、この法案が通って、民主党の思惑どおりの効果が得られたとしたら、貧乏な家庭からは延々と貧困層が再生産され続けるということになる。
一方、ある程度お金のある家庭にとって2万6000円というのは、大したお金ではない。そりゃあ小遣いレベルでは嬉しいだろうけど。少なくとも、この手当てができたからといって子供を増やすとは考えにくい。だから、高校・大学と進んである程度の賃金をもらえる国民の数は増えていかない。
つまり、この手当てはひたすら貧困層を増やすという結果しか生まないのではないだろうか。本末転倒。
だってさ、そもそも人口減が嫌なわけじゃなくて、人口減によって引き起こされる国力の減退が嫌なわけでしょ?確かに人口は増えるのかもしれない(これすら微妙だよね)。でも貧困層ばっかり再生産するようじゃ、「国力を減退させてまで人口減を止めたい!」みたいな法案だよねえ、これは。そんなことまでして無理に人口減を是正しなくていいんじゃないか。むしろ、人口減でも成り立つような社会の構造を模索した方がいい。そういう議論がほとんど出てこない。いや、そんなことじゃなくても、規模を縮小しようっていう発想がない省庁を見直す方がよっぽど効果的なはずだと思うぜ。
さーて、そろそろ大学に行こう。
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引用終わり。
今週末の早稲田祭、行きます。
2009年10月9日金曜日
CEATEC JAPAN 2009
YAZAWAとかかっこよく気取りやがって、実際カッコ良すぎて何も言えないんだけど、最近の矢沢が田中国衛に見えてきたってのはガチ。
それはどうでもいいとして、この前CEATEC JAPAN 2009(以下、シーテック)に行ってきた。
シーテックってのは2000年から毎年幕張メッセでやってる「最先端IT・エレクトロニクス総合展」。要は、いろんな企業の最先端の技術を集めた展示会やろーぜ、ってノリ。今年は例年より出展企業が少なくて、その理由は経済危機のせいってのが表向きで、っていうか実際大きな理由の一つなんだろうけど、もうひとつ理由として言われてるのが日本市場のプレゼンス低下だって。
やばいねー日本。いろんなとこで影響力の低下って言われてて、俺はあんま実感わかなかったけど、やっぱ数字で示されると理解しやすいね。っていうのも、この間白書をペラペラめくってたら日本の一人当たりGDPがイタリアより低いって。これにはさすがに慄然としたけどね。
なんつーか、大抵の先進国よりも日本の方が豊かで進んでるっていう認識は、俺らの世代だとしたら小学生時代とかにはギリギリ持っていたと思うんですけど、気付いたらあっという間。日本なんて先進国の中ではむしろ貧しい国になってるんだね。「発展なんかしなくていーじゃん」モデルとしてスローライフ(キリッ)、なんつってイタリア見習おうなんて言ってたのに、実はそのイタリアに負けてて涙目。
事実、日本人の労働時間も実はそんなに長くなくなってきてるし、バブル以前の時代とバブル崩壊後の「不況っ言っても日本は豊かじゃん」なんて言えてた時代から俺らが引きずってきているいろんな認識を転換ってか、認識と現実のズレを直しといた方がいいかもなーと、俺も最近はいろんな驚愕の事実に対して「へーっ」って思うことが多い。
何の話してたんだっけ。そうシーテック。
シーテックの展示内容に関してはね、普段から「未来」のイメージを映画やネットから浴びまくって慣れ過ぎているせいか、あんま展示内容に関しては「すげー」みたいな科学少年的トキメキは無くて、俺が行く前にイメージしていた「近未来体験型アミューズメントパーク」的な風情はなかった。あったのは科学少年的トキメキではなくて関係者的関心で、「アミューズメントパーク」ではなく単なる「展示会」に行ってきました、っていう印象。
まあシーテックはそもそもそういう場所なんだよ、とも言われるかもしれないけれど、それにしても、たぶん「IT革命」の時代の以前と比べて今の時代は、「近未来」へのときめきは少なくなっている時代だと言えるのではないだろうか。
なぜか。
要は、「IT」が登場したことによって、未来の技術の発展すべき道筋がはっきりとしてしまった。そんな感じがします。「IT」による効率化、融合、インタラクティブとか、進むべき方向は例えばグーグルとかが既に示してしまっていて、しかも結構その未来の姿を現実的にイメージすることができるでしょ。だから、2000年のシーテックと比べると、2009年のシーテックは随分と予定調和な感じなのではないかなと想像するし、たとえば20年前と比べると「近未来」ってずいぶん身近になって、ある意味でつまらなくなったものであるよなあと思う。
もしシーテックが俺らにもう一度トキメキを与えてくれるようになるとしたら、それは人工知能の技術が実用レベルで展示され始めるような時代なんじゃないかなーと思う。正直これ以上ITとかテレビの3D映像とかのすげー技術を見せつけられても、「便利だなー」「きれいだね」くらいの感想しか出てこないと思う。やっぱりトキメクのはボーカロイドとかセイサク君みたいなロボットだったりするので、来年以降のシーテックではそっちの方をもっと見たいかなーとおもう。
それはどうでもいいとして、この前CEATEC JAPAN 2009(以下、シーテック)に行ってきた。
シーテックってのは2000年から毎年幕張メッセでやってる「最先端IT・エレクトロニクス総合展」。要は、いろんな企業の最先端の技術を集めた展示会やろーぜ、ってノリ。今年は例年より出展企業が少なくて、その理由は経済危機のせいってのが表向きで、っていうか実際大きな理由の一つなんだろうけど、もうひとつ理由として言われてるのが日本市場のプレゼンス低下だって。
やばいねー日本。いろんなとこで影響力の低下って言われてて、俺はあんま実感わかなかったけど、やっぱ数字で示されると理解しやすいね。っていうのも、この間白書をペラペラめくってたら日本の一人当たりGDPがイタリアより低いって。これにはさすがに慄然としたけどね。
なんつーか、大抵の先進国よりも日本の方が豊かで進んでるっていう認識は、俺らの世代だとしたら小学生時代とかにはギリギリ持っていたと思うんですけど、気付いたらあっという間。日本なんて先進国の中ではむしろ貧しい国になってるんだね。「発展なんかしなくていーじゃん」モデルとしてスローライフ(キリッ)、なんつってイタリア見習おうなんて言ってたのに、実はそのイタリアに負けてて涙目。
事実、日本人の労働時間も実はそんなに長くなくなってきてるし、バブル以前の時代とバブル崩壊後の「不況っ言っても日本は豊かじゃん」なんて言えてた時代から俺らが引きずってきているいろんな認識を転換ってか、認識と現実のズレを直しといた方がいいかもなーと、俺も最近はいろんな驚愕の事実に対して「へーっ」って思うことが多い。
何の話してたんだっけ。そうシーテック。
シーテックの展示内容に関してはね、普段から「未来」のイメージを映画やネットから浴びまくって慣れ過ぎているせいか、あんま展示内容に関しては「すげー」みたいな科学少年的トキメキは無くて、俺が行く前にイメージしていた「近未来体験型アミューズメントパーク」的な風情はなかった。あったのは科学少年的トキメキではなくて関係者的関心で、「アミューズメントパーク」ではなく単なる「展示会」に行ってきました、っていう印象。
まあシーテックはそもそもそういう場所なんだよ、とも言われるかもしれないけれど、それにしても、たぶん「IT革命」の時代の以前と比べて今の時代は、「近未来」へのときめきは少なくなっている時代だと言えるのではないだろうか。
なぜか。
要は、「IT」が登場したことによって、未来の技術の発展すべき道筋がはっきりとしてしまった。そんな感じがします。「IT」による効率化、融合、インタラクティブとか、進むべき方向は例えばグーグルとかが既に示してしまっていて、しかも結構その未来の姿を現実的にイメージすることができるでしょ。だから、2000年のシーテックと比べると、2009年のシーテックは随分と予定調和な感じなのではないかなと想像するし、たとえば20年前と比べると「近未来」ってずいぶん身近になって、ある意味でつまらなくなったものであるよなあと思う。
もしシーテックが俺らにもう一度トキメキを与えてくれるようになるとしたら、それは人工知能の技術が実用レベルで展示され始めるような時代なんじゃないかなーと思う。正直これ以上ITとかテレビの3D映像とかのすげー技術を見せつけられても、「便利だなー」「きれいだね」くらいの感想しか出てこないと思う。やっぱりトキメクのはボーカロイドとかセイサク君みたいなロボットだったりするので、来年以降のシーテックではそっちの方をもっと見たいかなーとおもう。
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